芸術家のくすり箱のサポート事業やセミナーで、現場の方から厚い信頼を寄せられているセラピストの中から、鍋田友里子さん、岩井隆浩さんに、セラピストになった経緯や腕を磨いてきた方法などを前編でうかがいました。後編では、日本にも、ダンサー専門外来のセンターがあって欲しいというお二人が、これからのダンサーの活躍をサポートするうえで、ダンサーやカンパニーとの関わり方や、芸術家のくすり箱のあり方について語っていただきました。
(ここでは便宜上、現場でダンサーのケアに当たる理学療法士、柔道整復師、鍼灸師、トレーナーなどの総称を「セラピスト」としています)
■「ダンサー専門外来」がある意義は
──前回は、鍋田さんが働いていらしたニューヨークのダンサー専門外来「ハークネスセンター」では、ジャンルも人種もレベルもさまざまなダンサーが来て、セラピストも切磋琢磨しながら多数の経験を積んでいるというお話をうかがいました。
岩井:ハークネスセンターでは、ダンサーは自費で治療やリハビリを受けるんですか?
鍋田:自費ではなくて、基本は全部保険診療なんですよ。ただ、保険を持っていないダンサーがたくさんいるので、その部分は病院の助成金でカバーしているんです。だからお金がなくても、ダンサーであればジャンルに関係なく受け入れるという体制になっていました。それは病院にある施設の特典というか、ハークネス以外のダンス外来にはない大きな特徴でしたね。
岩井:ハークネスセンターは、セラピストとしても経験を積む土壌があるし、ダンサーとしても通いやすい、そういう環境そのものがあるっていうことは、すごく興味深いですし、日本にもぜひ欲しいですよね。
鍋田:やっぱりダンサーが、自分に合った治療方法やケアの場所を探さなくていいって、すごく大きいと思うんですね。
岩井:それだけでも、ストレスが減りますよね。
鍋田:その苦労とか時間のロスを考えると、専門家が集まってこういうサービスを提供しています、という分かりやすいセンターがあるっていうのは、存在自体に意味がありますよね。
欲を言えば、ハークネスセンターはもうちょっと大きくなってほしかったです。というのも、需要に対して人が足りないんですよ。セラピストの人数ももっとほしかったし、ダンサー専門の栄養士や心理カウンセラーなど、もっと他職種とチームワークを組んだケアがしたかったです。病院内に、専門部門があるのは便利といえば便利なんですけど、ダンサー専門のチームではないので、改善したいなと思っていました。
■日本のダンスカンパニーに広がってほしいこと
──これまで関わったダンサーやカンパニーの、ポリシーや実践していることで、他のカンパニーとかも共有したらいいなと思うことはありますか?
岩井:ポリシーとして、ダンサーのメンテナンスとかケアとかトレーニングに対して、現場がポジティブに受け止めてくれる環境が、そもそも少ないので、まずはケアを受けたりすることに対してダンサーが躊躇しなくてもいいような環境を、もうちょっと広げていきたいなと思っています。そういうところも含めた意識が高まると、ダンス界がより豊かになると思いますが、それが意外と難しいなとも思っています。
──芸術家のくすり箱が、活動を始めた十数年前の日本では、カンパニー付きのトレーナーが公演やリハーサルに関わることはまずなかったので、ここまで進歩ではあるんですが、岩井さんからご覧になって、まだまだだ、と。
岩井:そうです。どちらかというと、伝統的な歴史が長いカンパニーよりも、プロフェッショナルでよりプロジェクトベースな現場のほうが、医療関係者やトレーナーが関わる土壌はある気がします。歴史が長くて組織がしっかりしているほど、人間関係とかシステムにいろいろな制約があるので、なかなかケアを現場に組み込む環境がなかったり、そういう時間や環境を作るほど余裕がなかったりするのかなと。
岩井:私の話を少しすると、10年くらい前に、ダンサーに向けた治療というのを始めたんですね。私はストリートダンスをやっていたんですが、当時ストリートダンスのシーンが盛り上がってくると同時に、ダンサーの体がボロボロになっているのが目につきました。
ダンサーにもよりますが、ケアも何もないし、アップもしない、ダウンもしない。ケガの予防とか何かの改善とか、そういうことがない世界で、自分が柔道整復師の資格を取って、鍼灸マッサージを学んでいく中で、何か役に立てるんじゃないかということで、ダンサーの治療を始めたんです。1万人規模のダンスイベントや公演にも積極的に入っていったという経緯があって。
やっていくうちにストリートダンサーだけじゃなくて、口コミで有名なバレエカンパニーのダンサーがくるようになって。そちらのプロフェッショナルなダンサーたちは、ストリートダンスに比べて、あれだけ歴史も長いのだから、当然ケアを受けていたり、環境がいいだろうと思っていたんですけど、意外とそうでもないことがわかりました。大手のバレエ団もそんなに門戸が開かれているわけではなく、どうすればいいのかと思ったときに、芸術家のくすり箱を知ったんですよね。すごく共感したのを覚えています。
そういう意味では、ここ10年で環境は変わってきたなと思います。10年前は、ニーズも顕在化しているようでしていなかったし。
――現在の感触でもプロジェクト型の方が、予算組みも考えやすいと。
岩井:全てではないですが、そうですね。トレーナーとして入ってもすごくリスペクトしてくれるし、求めてくれるし、その分レベルも求められるし。プレッシャーはありますが、やりやすいですね。
鍋田:すごく分かります。やっぱり求めてくださるところで働くって、いいことですよね、お互いに。
岩井:そうなんですよね。だからダンサーがケアを受けやすいという環境もそうですけど、われわれがセラピストとして入ったときに、一定のリスペクトを持って接してくれているなとか、環境を用意してくれているなと感じられる現場は、すごくやりやすいですね。尊敬してほしいわけではないですけど、やっぱり機能的に動くために必要なポジションがあるので。
――ダンサーの疲労回復や痛みの対応にとどまらず、「いいパフォーマンスを観客に届けたい」という目標が、公演に関わる人たちと一致していることが伝わると、お互いにハッピーですよね。
岩井:そうなんですよね。
■芸術家のくすり箱の役割は
鍋田:そういう意味で、主催者側とケアする側、芸術家と医療者をつなぐ芸術家のくすり箱って、すごく必要な存在だなと思います。
――これからやっていきたいことはありますか? くすり箱を通じてできそうなことはありますか?
岩井:二つあるなと思っていて、一つは自分が治療院を開いていると、どうしても自分よがりになってしまうところがあって、自分が取ってきた仕事は自分たちが入っていきたいと思ってしまうので、そうならずに、第三者の芸術家のくすり箱さんがいてくれることで、いろんな人たちがダンスの現場に関われて、協力しあえる土壌ができることが、すごくいいなと思います。そういう意味でバランスを保てるっていうところで、芸術家のくすり箱の存在意義があるなと思います。
もう一つはそれに加えて、もう少しオープンソースにしていっていいんじゃないの、ということです。鍋田さんもおっしゃっていたように、いろんなセラピストとかが集まってくると、いろんなやり方が目に入るようになって、それがインスピレーションになったり、セラピスト同志が話すことで情報を得たり、芸術家のくすり箱の現場はそういう場所になるのかなと思います。
セミナーもいいんですけど、自分の技術、知識、経験を一方通行で披露するよりは、もてるものをコミュニティーに投下していくことで、トライ&エラーが速くなるし、コミュニティー自体が強くなるし、情報を渡した分自分にも新しい情報が入ってくる。そういう形で活動の輪が広がっていく方が、建設的でパワフルだなと思うんです。
それを実現するためには、どこかの治療院とか営利企業では、その役回りは難しいと思うので、芸術家のくすり箱のような中立的な団体はすごく存在意義があるなと思っています。
──イメージされているのは、ネットワーク機能よりもリアルな場の方ですか?
岩井:両方です。私が普段からITとかテクノロジーが大事だと言っているのはそこで、やっぱりリアルも必要なんですけど、今の社会に合わせることも重要だと思っています。今社会を見ていても、テクノロジーを使ってオンラインで情報を発信していくことで、オフライン、リアルを強くするっていうところがあると思うんですね。使うべきものは使って、トライ&エラーとか知識の共有を早くして、より円滑に、信頼関係を構築できて、リアルでもよりコミュニケーションが取れるようになれば理想だなと思いますね。
鍋田:私が言おうかなと思っていたことを、うまくまとめていただいた感じです(笑)。芸術家のくすり箱が、芸術側のカンパニーと、ケアする側の治療院や治療家やトレーナーと、双方にとって客観的な存在であってくれることで、ダンス界とセラピスト界との関係が初めてできるのかなと思います。
あと、アメリカでは、ブロードウェイの劇場でもダンスカンパニーでも、ダンサーがきちんと守られている部分があるのは、サードパーティーがあるからなんですよね。「アクターズエクイティー」という組織があるから、労働環境の質、お金、休みなんかが確保される。
ダンサーは放っておくと根を詰めてがんばってしまう、という点はアメリカも日本も変わらないので、誰かしらそういうのをチェックする人がいなくちゃいけないんですけど、日本でそういう役回りを政府や機関でできないのであれば、芸術家のくすり箱のような存在が大事なんだろうなと思います。
それと、ダンサー向け、ダンスカンパニー向けのセミナーや教育はものすごく重要だと思います。ダンスの現場にケアを取り入れるには、マネージメント側でもダンサー側でもいいんですが、外から影響を与えないと、確立したカンパニーの考えは変わらないと思うので、その点でもやっぱり芸術家のくすり箱の役割があると思います。
あと、今たまに学生にも教えることがあるんですが、若い人は古い制度や伝統を、いい意味でどんどん変えていきますよね。学生の教育って大事だなと思うのが、学生はまだ難しいことを教えても分からないかもしれないけど、どこかしらの断片でも覚えてくれているから、触れておくということが重要。
バレエ学校でちょっと教えていたときも感じたんですけど、解剖学もあまり分かってないんだけど、「こういうことが大事なんだ」ということは覚えててくれるんだろうな、と。早いうちからそういう情報に触れていると、その人たちが将来ステージマネージャーなどになったときに、ダンサーに「ケアに行きなさい」って言ってあげられるようになるんだろうな、っていうのはありますね。
もう一つ、オープンソースという言葉でピンと来たんですけど、芸術家のくすり箱さんはすごくデータを収集されているから、そのデータを活用できるようになるのが楽しみですね。大規模なアンケート調査や、カンパニーに帯同して集めたデータを、どういうふうに処理していけるかなって。いろいろな研究者が個々にがんばっていても追いつかないような規模のデータを持っていると思うので、そういうところにも期待しています。
岩井:私も今聞いていて思ったんですけど、それぞれのダンサーとか、カンパニーとか、芸術家のくすり箱とか、社会とかの矢印は、実はそんなに違ってないのかなと。それぞれ思惑はあるものの、一緒に取り組んで進められるところはいっぱいあるなと思うんですよね。
でも、そこをつなぐ人たちがいないとか、実際何か行動してみようとしたときに、なかなかワークしないというところが課題だと思うんで、初めは小さくてもいいから、方向性が同じであれば協力しましょうっていうところを、具体的にアクションとして起こせるかというところがすごく重要で、そこをもっとパワフルにやっていきたいなと思います。
あとは、社会の人たち、いわゆる企業の人たちとかいろんな人たちに、ダンサーやダンスが社会のなかで汎用性のあるものだとして、伝えていきたいっていうのが、すごくあって、芸術家のくすり箱の活動も含めて、単なる公演を告知するのとは別の形での集客につながるようなインパクトあるアクションができるといいな、と。
――ダンサーのケアについて、幅広く、そして深いお話をありがとうございました。ダンサーのケアに携わる方、そしてダンサー、カンパニーにとってとても心強い発信となりました。芸術家のくすり箱の今後の展開も楽しみですね。
(了)
【セラピスト・岩井隆浩さんのセルフケア】
①鍼
「自分に鍼をします。旅行先にも、小さいケースに、鍼とアルコール消毒を入れて持っていきます」
②歩く・バイクをこぐ
ずっと仕事をしていると、動いてるようで運動になっていないし、切り替えができません。切り替えること自体がケアにつながるので、ガツガツと運動をするわけではないですが、軽く歩いたり、バイクこいだりします。
③水浴び
「忙しいと、身体に余計な熱がこもってくるので、水浴びします。体を冷やしたくないときは、頭だけでも。そうすると、その後にお風呂に入ると、すごく呼吸が深くなるのが分かります。睡眠の質もちょっと上がるような気がします」
④ボールでマッサージ
「ハンドボールくらいの大きさのソフトなボールで、筋肉というより関節をゆるめます。ボールを支点にして上に寝てちょっと反るだけでも、胸が開き、ゆるやかな支点ができることで関節が動きます。そのボール、実は子どものおもちゃなんですけど(笑)」
鍋田友里子(なべた・ゆりこ)
理学療法士、米国理学療法臨床博士 (DPT)、ニューヨーク州認定理学療法士 (PT)、米国理学療法スペシャリティ理事会 (ABPTS) 認定整形外科スペシャリスト (OCS)、パワーハウスピラテス認定ピラテスマットインストラクター。ニューヨーク大学病院に8年間勤務、ダンサー専門理学療法外来Harkness Center for Dance Injuriesに臨床スペシャリストとして所属。ダンスカンパニーやブロードウェイなど、劇場に赴く専属理学療法士として、ダンサーの治療や傷害予防に携わる。バレエ学校や整形専門・理学療法研修生を対象に、ダンス専門理学療法に関する教授活動も行う。2016年帰国。ダンサーの個別セッション他、講演活動を行っている。
【セミナー情報】
米国PTが伝えたいダンサーケアの知識と実践~股関節・ブラッシュアップ編~
[日時]2018年12月15日(土)18:00-21:00
[テーマ]ダンサーの股関節前方の疼痛へのアプローチ
●詳細:こちら
岩井隆浩(いわい・たかひろ)
柔道整復師・鍼灸あん摩マッサージ指圧師/株式会社Nomadiculture 代表取締役・株式会社ケアくる 取締役。ストリートダンスを中心にダンサーとして活動し、結果を残す。その経験を生かして治療に取り組み、2009年より独立。2012年にカナダ留学。帰国後、『麻布十番Loople治療院』を開業。ダンサー、アーティスト、アスリートなど幅広い治療を経験。
●麻布十番LOOPLE治療院
●ケアくる
制作:NPO法人芸術家のくすり箱 [2018.12作成]