芸術家のくすり箱では、文化庁委託事業として2015年から3年間プロフェッショナルなダンス公演に数か月に渡って医師、トレーナーが帯同するサポート事業を実施してきました。
その中で、ダンサーやダンスカンパニー、公演主催者から信頼を寄せられる医師・治療師・トレーナーの方たちとのネットワークが育ってきています。
今回はその中から、特にダンサーの治療経験が豊富なお二人による対談をお届けします。
一人は、ニューヨークのダンス専門病院・ハークネスセンターやブロードウェイの現場で活躍され、2016年に日本に拠点を移した理学療法士の鍋田友里子さん。もう一人は、ダンス経験者で柔道整復師・鍼灸マッサージ師として数々の公演やスタジオでダンサーのケアに当たっている岩井隆浩さんです。アメリカと日本の違いも含め、ダンサーのケアに関わった背景やその環境、スキルの磨き方など、ダンサーのケアにあたる方々について語っていただきました。
(ここでは便宜上、現場でダンサーのケアに当たる理学療法士、柔道整復師、鍼灸師、トレーナーなどの総称を「セラピスト」としています)
■ダンサーのケアをするようになった経緯
──まずは今なさっているお仕事、ご活動について、それぞれお聞かせください。
鍋田:私は芸術家のくすり箱のセミナーで、理学療法士など医療従事者やトレーナーの方に、ダンサーの障害の見方やケアの仕方を教えているのが、今一番メインの仕事です。他に、最近力を入れているのは、スクリーニングの活動です。ダンサーの怪我予防のための評価や、セルフケア指導を別のグループ活動でやっています。
岩井:私は、自身のダンス経験・ダンスへの関心・専門知識から、強みであるダンスの患者さんに治療を届けることを、日々スタジオ出張や治療院で行っています。
それに加えて、治療家の方々が自己実現していけるように、土壌をつくる活動も行っています。
私の場合は、ダンスが強みですが、セラピストは個人個人、強みが違うので、そこをより強化することで活躍の場はもっと広がると思います。
IT会社を立ち上げているので、いまの時代に合わせた手法も積極的に取り入れつつ、多角的に治療家の可能性をより広げていきたいと思っています。
もう一つの活動として、海外に治療拠点をもったり、海外にチャレンジしたい人を後押ししたりしていますが、ゆくゆくは海外の専門家を日本に連れてきて、技術や知識の交換をしたり、コミュニティーをつくったりしていきたいなと考えています。
■アメリカのダンサーのケア事情
──鍋田さんが働かれたニューヨークのハークネスセンターは、ダンス専門外来の先駆的な存在ですね。
鍋田:そうですね。ハークネスセンターって、すごく確立しているように見えるんですけど、中身は常に変化しています。時とともに変化して改善している部分と、変化が早過ぎて個人的には対応に苦戦することもありました。
──トライ&エラーということですか?
鍋田:そうです。一般の病院内にあるので、いろいろと病院のルールに従いつつも、専門のセンターとして運営していかなくちゃいけない。規則の枠に縛られながら、芸術家という、あまり枠のない分野の人たち(笑)とやり取りするので、病院と芸術が混じり合うことの難しさは、結構あるんです。だから、トライ&エラーを繰り返しながら、手探りでやっている感があります。
──日本でもできたらいいな、という仕組みはありますか?
鍋田:日本では、それぞれの専門家がバラバラに活動しているのが惜しいですね。自分の専門性を伸ばすのに、一人で活動していたら限界があります。いろんな職種が混じって教え合えば、鍼灸師の人はこういうスキルに長けているんだ、理学療法士はこういうエクササイズをするんだとか、お互いから学び合うことで、自分の役割もしっかり確立できると思うんです。だから、やっぱりお互いの役割、職務の内容をよく知り合う機会や場所が必要かなと思います。
岩井:ハークネスセンターに勤める前に描いていたイメージと、実際勤めてみた実感とで、違いはありましたか?
鍋田:ハークネスに入る前、私はダンスの学生だったんです。ダンスで怪我をして、ケアを受ける側でした。モダンダンスのショーで怪我をして、膝の前十字靭帯の修復手術で、リハビリの担当をしてくれた人が、後の私のスーパーバイザーです。だから、就職先としてすごく憧れましたよね。そこが夢の職場だ、これしかないって。念願のポジションが空いて、入ってからすごく苦労したのは、もちろん言語のこともありましたけど、ダンサーの幅の広さがすごいことです。十人十色、アマチュアからプロから、体格もダンスのレベルもさまざまで……。
岩井:ジャンルも。
鍋田:はい。何から何まで、本当に「これはマニュアル化できないな」と思ったのと、私の専門である理学療法は整形の領域なのに、実際のケアは整形の範囲ではない、“お母さん的役割”がすごく大きかったんですよね。怪我をしたダンサーに対して、お仕事に復帰するまで、「今日は何食べたの? ちゃんと寝たの?」と、カウンセラーかつお母さんかつセラピストみたいな役割をしなくちゃいけないんです。
最初は「徒手療法がんばるぞ」「いろんな技術を身に付けるぞ」と意気込んで、もちろん身に付いたものはあったんですけど、やっぱり自分がセラピストとしての役割をちゃんと果たすには、自分からアプローチを変えていかなきゃな、と学びましたね。
岩井:ハークネスセンターに入ったのは何年ですか?
鍋田:2007年に理学療法士(PT)になって、ハークネスに入ったのが2009年くらいです。病院にPTとして入って、最初は一般やスポーツの患者さんをみながら、同じフロアだったので、ダンスも隣で様子がうかがえたり、研修というかたちでみさせてもらっていました。2年後にハークネスセンターに空きがでて、正式にハークネスセンターのセラピストになって6年ぐらいいました。
今は制度が変わって、ハークネスに就職を希望する理学療法士はハークネスで職場研修を受けることができます。卒後の専門理学療法の教育制度の一部でレジデンシーと呼ばれるものです。卒業生で何人かは研修後もセラピストとしてハークネスで続けた方がいるようです。
──ハークネスセンター以外でもダンサーの治療にあたられたのですよね?
鍋田:実はハークネスは、ダンサーは誰でも受診できるので、ブロードウェイの帯同で会うダンサーとは全く違うんです。メンタリティーも、スキルも、治し方も。それで、やっぱりプロ中のプロをみるお仕事がやりたいと思った時期に、ハークネスセンターをフルタイムからパートタイムに変えたんです。空いた時間をブロードウェイ等の帯同に充てて、そこでもまたたくさん勉強させてもらいました。
岩井:帯同は個人で行ったんですか? 出向ですか?
鍋田:ブロードウェイを担当しているのはニューヨークの診療所で、理学療法は少なくとも4つはありました。そのうちの一つのオーナーが、元ハークネスセンターのPTだったんです。その関係で雇ってもらえました。
とにかくそこでもいろんな経験をさせてもらって、ダンサーって本当にアマチュアからプロまで、いろんな治療の仕方があるなと実感しました。
■日本でのダンサーのケア活動
鍋田:岩井さんは、治療院でのお仕事と、外のお仕事があるんですよね。劇場とかに行かれているんでしたっけ?
岩井:劇場に行くこともあれば、リハーサルのスタジオに行くことも、自宅に行くこともあります。ダンススタジオに定期的に出張しているので、そのスタジオで教えている先生だとか、リハーサルに来ているプロのダンサーだとか、趣味で習いに来ているダンサーとかの治療をすることは、日常的にあります。
ただ、鍋田さんがおっしゃるように、レベルが違ったり、十人十色なので、治療の仕方を完全にマニュアル化することは不可能で、その都度相手が求めていることは何なのかを探りながら、できるだけその人の課題や負担を取り除いていくというようなことをやっている感じです。
鍋田:その人の課題などを見極めるのは、やっぱりコミュニケーションですか?
岩井:そうですね。コミュニケーションをとりながら、相手が何を求めているかをつかむようにします。
──どんなことが求められますか。
岩井:ダンサー自身が「認識している部分」と「認識していない部分」、二つあるなと思っていて。認識している部分については、結局ケアが一番メインになります。ただ、ケアといっても、疲労回復のためのケアだけが全てじゃなく、テーピングのサポートであるとか、怪我の予防みたいなところはお互いに認識できている部分ですね。
もう一つ、認識していない部分としては、さっき鍋田さんもおっしゃったように、心のケアの部分です。ダンサーはそれをほとんど自覚しないでケアを受けに来ます。体のケアをやってもらっていると思って来る割には、こちらとしては、人間関係の相談とか、結構精神的なケアで、現場でうまくいくようにサポートをしている感覚があります。
その両面の課題がクリアできたときに、かなり「満足した」という反応をいただけるなという感じがします。信頼関係ができると、治療の時点でもうまくいきますし、「こういうセルフケアをやっていきましょうね」と指導しても、きちんとやってもらえるので、明らかに結果もついてくることが多いなと感じています。
■セラピスト同士が学び合えるオープンな環境
──ハークネスセンターのようなオープンな環境だと、ロールモデルの方から日常的に学ぶこともできそうですが、日本の治療師の方々は一対一での治療環境で、どうやってひとりひとりのニーズにあったテクニックやメンタル面のサポートの感覚を磨くんですか?
岩井:やっぱり現場に育てられることがすごく多いです。治療院でも他の先生と情報をシェアしたりしますし、あとは芸術家のくすり箱さんが主催している勉強会とか、業界のコミニティーの中でいろいろ学ぶことが本当に多いですね。そういう意味では、かなり経験がものを言うなと思います。
鍋田:そうですね。周りから学ぶ、経験を積む、それと患者との信頼関係を築くことで学ぶということは、すごくたくさんあります。
私はハークネスセンターで、ロールモデルが目の前にいる環境で経験を積むことができて、本当にラッキーだったと思うんですね。私一人では20年かけても学べなかったことを、ほんの6年で吸収できた。それは極端な言い方かもしれないですけど。
私の同僚が、ユリコが横のテーブルでやっているのをチラッと見て、その瞬間にインスピレーションを受けた、と言ってくれたことがありました。テクニック自体もそうなんですけど、言葉では説明できないような、「そうか、そう言えばこれ忘れてたな」「見たことないな」「この人にこういうテクニック使うんだ」といういろんなことがぱっと見た瞬間に入ってくるんですよね。
あとはやっぱりそういう大きな病院だと、宣伝しなくてもダンサーが来てくれるわけです。「ハークネスセンターだから」と来る人たちの、ダンスの種類や、人種や、ものすごい多様性と量に接することができて、学習するのにはとてもいい環境だったと思います。
岩井:ハークネスセンターみたいにすごくオープンな場で治療が行われているという環境と、鍼灸のようにクローズドな個室で一対一の空間で行われている環境って、結構違いそうですよね。隣を見てインスピレーションを受けるっていうのは、個室ではできないですから。
鍋田:そうですね、確かに。
岩井:オープンスペースだと、治療しながら、さっき指示した人のエクササイズの様子は目には見えているわけですよね。
鍋田:そうですね。だから「こういうことをやってたね、この間」みたいに、次のセッションがスムーズに入れることもありました。
■劇場での限られた時間の使い方
――ハークネスでは1人の治療の時間はどれくらいなんですか?
鍋田:初診は1時間。それ以降は、ワンオンワンで30分みます。治療が終わった患者さんは、同じ部屋の中で、指導したエクササイズを30分から1時間くらいやっていきますが、その間も患者さんは視界の中にいる感じです。
――普段治療院では1時間くらいの枠だと思いますが、劇場などの現場では、そんな時間はとれないですよね?
岩井:そうですね。劇場では全体のスケジュールや人数の設定があるので、まず対象人数が何人いるのか、何人セラピストが入るのか、時間はどのくらいもらえるのかというところから、全員にケアを提供できるのか、ある程度団員の序列や配役で、優先順位を付けてけが人をメインに診るのか、疲労度の高い役回りをやっている方たちのケアを優先するのか、というところを取捨選択しながら組み立てる感じですね。場合によっては1人15分とか30分単位で回すことになります。劇場で長時間やることはまずないですね。
鍋田:ブロードウェイも1人15分から20分でしたね。ショーに出るためのケアなので、それほど時間は必要ないですよね。
――芸術家のくすり箱で帯同していただくときは、リハーサル段階からなるべく長いスパンで、コミュニケーションをとって信頼関係を築くので、本番は15分の短いケアもできるのかなと思うんですが、他のケースでは、当日劇場に行って、そこで初めて会う人たちケアすることもあるんですか。
岩井:あります。そういう場合、準備していくことと、現場でやることと、二つあるなと思っていて。準備することとしては、出演者の顔と名前を覚えたり、舞台、作品の概要を理解しておくこと。現場でやることは、ダンサーのことを少しでも理解しているよ、というのを、言葉や態度で伝えること。それが伝わって信頼関係ができれば、その後がスムーズになると思っています。
鍋田:セラピストが複数入るときは、セラピスト間のコミュニケーションは、どういうふうに行っているんですか? ノートとかですか?
岩井:セラピスト間のコミュニケーションは、メモベースですね。日をまたいでいれば、まとめてデータに起こしてテキストベースで共有したり、当日であれば口頭で行っています。
鍋田:結構それがスピードアップするカギだったりしません? 「昨日この子がこういうことを言っていて、昨日こういう治療してこれが効果あったから、今日もこれじゃない?」みたいな、そういうちょっとしたメモがすごく的中する治療にしてくれたりとか。
岩井:そうですね。本当に私はまだ経験も10年ちょっとなんで、まだまだこれからですけど、やっぱりトライ&エラーを繰り返してきた中で、マッチしたものってすごく効くし、マッチしてないと全然効かない。だからそういうトライ&エラーのスピードを速くするのは、すごく重要だと思いますね。実際に優秀とされる先生も、毎回ばっちり個々のダンサーにマッチしたケアを当てているというよりも、数をこなしながら改善のスピードも速くて、結果ばっちり当てている確率も高くなっている印象があります。
鍋田:それは、私もハークネスセンターのスーパーバイザーを見ていて思いました。経験を重ねている人ほどマニュアルのAからZまで全部はやっていないんですよね。私がまだセラピストになりたての頃は、優秀だと言われる先輩を見ても、Aからやらずに端折っていて、「分かってないな」と、生意気なことを考えていました。
でも今思うと、そういう先輩はすごくピンポイントでやっていたんだな、自分は全然分かってなかったな、と。その取捨選択の判断のスピードとか的確さって、トライ&エラーで経験をどんどん積んで備わっていったものだと、今はすごく分かります。
――鍋田さんが、さきほどおっしゃっていたいろんな種類の手技の人と学ぶ場があったということについて、少し詳しくお話いただけますか。
鍋田:ハークネスセンターの場合は、オープンなスペースだから隣でケアしている人が見えるということもありますが、あとはハークネス内で、かなりカジュアルな研修のようなものがたくさんありました。例えば先輩セラピストに半日ついて学ぶというのがあったり、半年に1回くらい先輩セラピストがつくった手技やエクササイズの練習会があったり。
あとはAT(アスレチックトレーナー)がすごく強く、PTと対等で、それぞれ違う分野に長けているので、お互いに持っているもの・知らないものをシェアする環境があります。ATからテーピングや応急処置や、脳震盪の対応を学んだり、脳震盪のエビデンスをアップデートしている人から、その情報をミーティングでシェアしてもらったりとか、そういう勉強もさせてもらっていました。
岩井:そのような場が日本にもあったらいいなということですね?
鍋田:そうですね!
後編につづく
【セラピスト・鍋田友里子さんのセルフケア】
①深呼吸
「私は今子育て中でなかなか自分の時間がとれないので、切り替えることを大事にしています。根を詰めて働いてしまうときは、リラックスすることが大事ですし、その方が仕事の効率も上がります。深呼吸はすごくシンプルですけど、いいですよ。瞑想とかファンシーな感じではなく、ただ目をつむって腹式呼吸。そうすると、すごく自分がリセットされます」
②マッサージ
100均のソックスに入れたテニスボール(写真)で、簡単なマッサージをします。寝っ転がってほぐしたいところの下にボールを入れて体重をかけたり、壁に自分の体重をかけたり。
マッサージのときに、アルニカオイルという、ある程度医療でも認められてきているアロマオイルを使うこともあります。アメリカのダンサーがよく愛用しています。軽く塗ってマッサージをすると、アロマ効果でリラックスもできます。
鍋田友里子(なべた・ゆりこ)
理学療法士、米国理学療法臨床博士 (DPT)、ニューヨーク州認定理学療法士 (PT)、米国理学療法スペシャリティ理事会 (ABPTS) 認定整形外科スペシャリスト (OCS)、パワーハウスピラテス認定ピラテスマットインストラクター。ニューヨーク大学病院に8年間勤務、ダンサー専門理学療法外来Harkness Center for Dance Injuriesに臨床スペシャリストとして所属。ダンスカンパニーやブロードウェイなど、劇場に赴く専属理学療法士として、ダンサーの治療や傷害予防に携わる。バレエ学校や整形専門・理学療法研修生を対象に、ダンス専門理学療法に関する教授活動も行う。2016年帰国。ダンサーの個別セッション他、講演活動を行っている。
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[日時]2018年12月15日(土)18:00-21:00
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岩井隆浩(いわい・たかひろ)
柔道整復師・鍼灸あん摩マッサージ指圧師/株式会社Nomadiculture 代表取締役・株式会社ケアくる 取締役。ストリートダンスを中心にダンサーとして活動し、結果を残す。その経験を生かして治療に取り組み、2009年より独立。2012年にカナダ留学。帰国後、『麻布十番Loople治療院』を開業。ダンサー、アーティスト、アスリートなど幅広い治療を経験。
●麻布十番LOOPLE治療院
●ケアくる
制作:NPO法人芸術家のくすり箱 [2018.11作成]