日本を代表するバレエダンサーとコンテンポラリーダンサー、酒井はなさんと、井関佐和子さん。酒井さんは新国立劇場バレエ団でプリンシパルをつとめられたあと、フリーランスとして、井関さんは10代からヨーロッパに渡り、欧州の舞踊団で活躍した後、帰国後は日本で唯一の劇場付きのカンパニー「Noism」(新潟)の舞踊家兼副芸術監督として、それぞれ活躍されています。
芸術家のくすり箱は、そんなお二人の出演する二つの公演に、平成29年度文化庁事業としてメディカルサポートで関わらせていただきました。今回はそのお二人に、普段のコンディショニングや、劇場でのチェックポイントなどについて、お話をうかがいました。
■バレエとコンテンポラリーダンス
──お二人はもともと仲がよいとのことですが、お互いの舞台を初めてご覧になったのはいつですか?
井関:私はもう、ものごころついた時からはなちゃんは憧れの存在としてずっと観ています。本当にきれいで、『白鳥の湖』を観て泣いたのは、はなちゃんのが初めてでした。
酒井:本当に? うれしい! 私は佐和ちゃんを初めて観たのは、Noismの最初の公演、パークタワーでの『SHIKAKU』です。あれはすごかった……。
井関:はなちゃんは、その頃は、ずっとクラシックバレエだよね?
酒井:そう! いくつか創作バレエは踊ったことがあったけど、初めて本格的なヨーロピアンのコンテンポラリーに挑戦したのは、穣さん(金森穣氏、Noism芸術監督、井関さんのパートナー)にお願いした作品だったんですよ。かっこいい穣さんのように動きたいのに、全く動けない……。「どうやるんだろう」って、盗んで覚えるしかないんだけど、全然できなくて、打ちのめされながら必死でやりました(笑)。
井関:それを聞いてふと思い出したんですけど、私も19歳でNDT(Netherland Dance Theater)に入ったとき、床を転がるとか、床に手をつくという動きが全然できなくて、初めてのリハーサルで唇を切って、血だらけになって。先輩たちは、なんでもできるのに、自分だけできなくてすっごく悔しい思いをしたことがありました。でも今の若い人たちって、YouTubeとかで映像をたくさん観ているから、すぐにいろんな動きができるでしょ?
酒井:本当にうまいのよね! 私たちの頃は、インターネットがここまで普及してなかったから、一生懸命ビデオで見るしかないし、あちこちいためながら、こうやるんだ、って身体で習得していったんですね。いまの人たちって、本当にすごいと思う。いろんな振りをサッとできるから。
井関:その場の雰囲気や、演出家のイメージを形でなく、感覚的に察知できるかはまた別の話ですけどね。
■普段のコンディショニング
──いまや本当にさまざまな動きに自在に対応されていますが、普段どんなコンディショニングをされているんですか?
酒井:いろいろなことをやっています。アロママッサージの先生はもう10年来のおつきあいで、“流れをよくする”という感覚で受けています。他にもマッサージ、カイロ、オステオパシー、骨格調整。バランスボールを使ったトレーニングも本当に基礎的なことですが最近がんばってます。
本番に向けて日程を逆算して、何を受けるかセットするけど、そのときの身体のバランスや状態でしっくりこなければメニューを調整したりしています。ただ、やりすぎて逆に体が混乱することもあるので、気をつけなくてはいけないですね。やりすぎ注意報です(笑)。
井関:新潟だと、コンディショニングも東京より難しいんです。もちろんマッサージに行ったり、いろいろやるんですけど、やっぱりその道のスペシャリストは東京に集まっているので……。本当はスペシャリストに普段から見てもらえるのがベストなんですけど。毎日のコンディションを見てもらって、身体をわかってもらっていて、心が許せる信頼関係があることが、すごく大事だと思っています。
今回、東京での舞台の期間は、長年お世話になっているトレーナーの方に個人的についてもらったんですけど、やっぱり心が安心すると、全然身体が違うんです。
── 一番受けられるのはマッサージですか?
井関:マッサージはよく受けますね。あとは、年齢が上がって、心拍機能が落ちるのが怖いので、有酸素運動は絶対に欠かさないようにしています。シンプルに踏み台昇降とかウォーキングを、ちゃんと心拍計つけて。うちの振付は結構ハードなので……。
酒井:うん、ハードだよね……。
■劇場でまずチェックするのは
──お二人ともいろいろな劇場で踊られますが、劇場に入ったときに、チェックするポイントは何ですか?
酒井:劇場に入ったら、まず舞台と客席を見させてもらって、ああこういう空間なんだ、っていうイメージをつかむようにします。
井関:私は床なんですよ。公演によっては、カンパニーでリノリウムを持ち込めないときがあって、そうするともう、心配で心配で仕方がないんです、床のコンディションが。私は足で床を掴むくせがあって、床の硬さと滑りがすごく影響するんです。だから、バレリーナがたくさんのトウシューズを持っていって、床とか色々な条件に合わせてフィットさせるみたいに、大量のソックス(靴下)*を持っていくんです。何やってるんだろう、っていうくらい(笑)。
*Noismでは、シューズや素足ではなく、ソックス履きで踊ることが多い。
──床に合わせてソックスを選ぶんですね。
井関:そうです。だからソックスについてうるさくなりすぎて、ついにオリジナルを開発してもらって。
酒井:わあ、すごい!
井関:イッセイ ミヤケの皆さんが衣裳をつくってくださったときに、私のこだわりを色々と聞いてくださって、それを反映したオリジナルのソックスを開発してもらいました。かかとにクッションがあって、土踏まずにホールドがあって、足の指が自由に動かせる。あのソックスは大きな出会いでした。
酒井:いいですね、かかとにクッションがあって、床をつかみやすいって。今度ぜひもってきて!
井関:ぜひ! すっごく踊りやすいから。
──酒井さんのトウシューズは?
井関:どうしてるの? 新国立劇場バレエ団に所属していたときはダンサーに支給されると思うんだけど。
酒井:いまはフリードのものを履いていて、欲しいマーク*のが入荷したら、お店にストックしておいてもらうようにしています。それで必要なときに、お店に行って試し履きして買ってる。
*イギリスのダンスウェアメーカー フリードのトウシューズは手作りで、作った職人ごとに出来上がりの特徴が異なる。各職人がサインがわりに靴底にマークをつけていて、ダンサーはそれを目印に愛用のものを探して購入している
井関:えっ?!この国宝級のバレリーナが、普通にお店に行って試し履きして買ってるって、おかしくないですか?
酒井:そう、普通に。お店に来ている子供たちと並んで(笑)。
井関:おかしいでしょ、日本。確かにフリーランスの方の線引きは難しいとは思うけど、海外のカンパニーではシューズはもちろん、メイク用品なども当たり前に支給されていました。
酒井:そのフリードの職人さんが、お年でどんどんやめてしまうので、いいトウシューズに出会うことも奇跡のようになってしまって。
井関:ちょっと話がそれるんですけど、トウシューズって、おもしろいほど進化してないじゃないですか。もちろん細かいところでは改良されていると思うんですけど。いまは3Dプリンターとかあるような時代なのに、トウシューズは手作りで。手で作ってくださるのはすばらしいことだけど、もうちょっとなんとかなってもいいんじゃないかって。
酒井:確かにね……。しかもほとんど使い捨てだしね。
井関:そう、使い捨てでしょ。本当にもったいないなって思う。
酒井:本当にそうなのよねえ。でも、以前、メーカーのトウシューズの開発にかかわったこともあるのだけど、本当に難しかった……。
■バレエシューズ、トウシューズ、ソックス
井関:実は、こないだ久しぶりにバレエシューズを履いたんです。
酒井:おお。どうでしたか。バレエシューズって進化してるよね。
井関:私が履いたのは、履き口がゴムで、ぴたっとフィットしました。昔のバレエシューズって、履き口をひもで締めていたでしょ。
──なぜ久しぶりにバレエシューズを?
井関:衣裳としてバレエシューズを履いている演出だったので。その作品の初演を踊った舞踊家が、バレエシューズを履いていたというのもありますが、今回私が踊るにあたって、なんか挑戦したくなって(笑)。そうしたら、シューズってやっぱり難しくて。
それこそいつも、マイソックスで足裏が床に吸い付くように踊っているのが、バレエシューズだと、底の厚みのせいで、バランスボールに乗ってるみたいに、片足で立つバランスがすごく大変で。
酒井:ほんとに? 繊細!
井関:はなちゃんは何日くらいトウシューズはもつの? 1日で履き潰しちゃう人もいるけど。
酒井:私、もたせ上手なの。6足くらいローテーションしながら履いているのと、あとニスを入れたり*、先をチクチク縫ったりして、わりともつほう。
*高価なトウシューズを長持ちさせるため、つま先の方にニスを流し込んで硬さを強化する方法で、トウシューズ専用のニスも市販されている
──6足持って歩くんですか?
酒井:持って歩くのは、1足です。
井関:わー、すごい! 潔い(笑)。私なんて、ソックス履いているのに、心配でさらに両ポッケにソックス入れてる(笑)。
酒井:さすがに本番の日は、自分のコンディションと、湿気の違いもあるし、本番までに柔らかくなってしまうのがすごく怖かったり、硬すぎても足の裏を使えなかったり、その絶妙なころあいが難しいので、3足くらい持っていきます。本番に合わせてシューズをちょうどいい感じに調整できると、本当に幸せだなって思います。
──本番に向けて、使いながらトウシューズを育てているんですね。
酒井:育てているんです。
井関:ソックスはね、育つんじゃなくて、穴があくんですよ(笑)。だから、「この子好き」っていうときは、衣裳さんに伸びる肌色の糸をもらって、縫うんです。
──それもご自身で縫われているんですね。
井関:もうそれは自分の感覚でしか調整できないんです。人にやってもらって言い訳はできないですから。
(後編につづく・2018年7月上旬公開予定)
【おまけ】
セルフケアやトレーニングも欠かさない井関さん。遠征先にも必ず持参するグッズをお披露目くださいました。
手に持つ真鍮のスプーンは“グラストンテクニック”(筋膜を擦ることでほぐす、筋膜リリースの手法)を疑似体験できるとか!?
2017年1月 彩の国さいたま芸術劇場楽屋にて
■プロフィール
酒井はな(さかい・はな) バレエダンサー/ダンス・ユニット Altneu
5才よりバレエを始め、畑佐俊明に師事。1988年橘バレヱ学校に入学、牧阿佐美、三谷恭三に師事。93年牧阿佐美バレヱ団入団、18才で『くるみ割り人形』主役デビュー。97年開場とともに新国立劇場開場バレエ団に移り、柿落とし公演『眠れる森の美女』にて森下洋子、吉田都と競演。以降同団プリンシパルとして数々の初演を含む主演を務める。優れた表現力と高い技術に品格の備わった、日本を代表するバレエダンサーのひとり。クラシックバレエを中心にコンテンポラリーダンスやミュージカルにも出演。2013年島地保武と共にダンス・ユニットAltneu<アルトノイ>を立ち上げ。レパートリーは古典バレエからN・デュアト、M・ゲッケ、C・シュクップ等の現代作品まで幅広い。2009年芸術選奨文部科学大臣賞、15年第35回ニムラ舞踊賞、17年紫綬褒章、18年第39回橘秋子賞特別賞ほか受賞歴多数。
【公演情報】
『カルミナ・ブラーナ』(演出・振付:佐多達枝)
[日時]2018年6月16日(土)16:00~
[会場]東京文化会館 大ホール
[詳細]www.choraldancetheatre-ofc.com
井関佐和子(いせき・さわこ) 舞踊家/Noism副芸術監督
1978年高知県生まれ。3歳よりクラシックバレエを一の宮咲子に師事。16歳で渡欧。スイス・チューリッヒ国立バレエ学校を経て、ルードラ・ベジャール・ローザンヌにてモーリス・ベジャールらに師事。99年ネザーランド・ダンス・シアターⅡ(オランダ)に入団、イリ・キリアン、オハッド・ナハリン、ポール・ライトフット等の作品を踊る。2001年クルベルグ・バレエ(スウェーデン)に移籍、マッツ・エック、ヨハン・インガー等の作品を踊る。04年Noism結成メンバーとなり、金森穣作品においては常に主要なパートを務め、現在日本を代表する舞踊家のひとりとして、各方面から高い評価と注目を集めている。08年よりバレエミストレス、10年よりNoism副芸術監督も務める。 (ポートレート撮影:松崎典樹)
●Twitter @sawakoiseki
●Instagram sawakoiseki
【公演情報】
Noism1×SPAC 劇的舞踊vol.4『ROMEO&JULIETS』
◆新潟公演
[日時]2018年7月6日(金)19:00/7日(土)17:00/8(日)19:00
[会場]りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈劇場〉
◆富山公演
[日時]2018年7月14日(土)17:00
[会場]オーバード・ホール
◆静岡公演
[日時]2018年7月21日(土)17:00/22日(日)15:00
[会場]静岡芸術劇場
◆埼玉公演
[日時]日時:2018年9月14日(金)19:00/15日(土)17:00/ 16(日)15:00
[会場]彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉
[詳細]Noismオフィシャルウェブサイト
■芸術家のくすり箱 メディカルサポート※実施公演
※文化庁委託事業「平成29年度戦略的芸術文化創造推進事業―文化力プロジェクト-ヘルスケアサポート基盤整備事業」の一環で実施しました。
●酒井はなさん出演公演
「ARCHITANZ 2018」(2018.2.17-18 @新国立劇場)
●井関佐和子さん出演公演
Noism1『NINA−物質化する生け贄』『The Dream of the Swan』(2018.2.17-18 @彩の国さいたま芸術劇場)
制作:NPO法人芸術家のくすり箱 インタビュー撮影:Tatsuya Yokota [2018.6作成]