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私流ヘルスケア:辻功さん(読売日本交響楽団首席オーボエ奏者/洗足学園音楽大学教授)

トレーナーの指導を受けてわかったこと、伝えたいこと

オーケストラの演奏家は、座って演奏するだけに見えるかも知れませんが、意外にもハードな身体の負荷がかかっているのをご存知ですか? それに対応するために、どんなことができるのでしょうか。日本を代表するオーケストラのひとつ、読売日本交響楽団の首席オーボエ奏者・辻功さんに、ご自身がトレーニングを始めて気付いたこと、後進のために取り組んでいることなどをうかがいました。

トレーナーとの出会い

──オーケストラの方は、普段どのくらい演奏活動をしているのですか?

 公演数はオーケストラで年間4、50回です。リハーサルが2日ないし3日、最大で4日くらいあって、それに対して本番が1回から、第九のような公演ですと本番が7回、8回と続きます。リハーサルは、うちのオーケストラの場合、朝11時から始まって3時15分に終わるという形です。それ以外に、個人で予習、復習として、それぞれ何時間か練習します。

──トレーナーについたのは、どういう経緯ですか?

 年齢的にも体力的にも、何かしないとまずいな、という意識はあって、いろいろマッサージに行ってみたり、ストレッチみたいなのに行ってみたりしていました。それぞれいいんですが、"音楽家にとって"いいのかどうかはちょっとわかりませんでした。その頃に「音楽家に対してトレーナーをしてみたい」というトレーナーの石橋先生を、人に紹介されたのがきっかけです。すごくタイムリーで、ちょうどいいチャンスだなと思いました。

──その「音楽家として」というところは、何がポイントでしょうか?

 ひとことで"音楽家として"といっても、それぞれ楽器によって全く違っているんです。先生は、どういうふうに身体を使っているかということを、演奏会をみにいらっしゃって、演奏の前後で色んな計測をしたり、科学的な解析をして、身体をどう使っているかを調べた上で非常に専門的な立場から、いろいろメニューを組んでくださいました。


トレーナーの指導を受けて

──実際に指導を受けて、いかがでしたか?

 まず、「練習をしないことは罪悪だ」と思っていたのが、逆に「練習をしないことが必要なんだ」と教わったのが、一番最初の衝撃でした。いままでやってきたことが違っていたということがわかって、非常にショックを受けました。

 身体の状態が良くないと、演奏はマイナスになってしまうんですね。身体を休ませてうまく使えるような状態を作るという意識で、常に身体のことを考えることが大事だとわかりました。

いまは週に1日はほとんど吹かない日をつくっています。演奏会が続いているとそうもいかないのですが、そうでないときには、練習したくなっても我慢して、休む日を作るようにしています。結果としてその方がいいパフォーマンスができるということです。

──オーボエの演奏では、どこに負担がかかるんですか?

 自分の感覚としては、呼吸でおなかをすごく使っていると思っていたんですけど、実際に使っているのは楽器を持ち上げている右手なんですね。楽器の下側が非常に重くて上は軽いので、常に下の重い方を重力にさからって右手で持ち上げているわけなんです。石橋先生に言わせると、野球のバットと同じような重さのものを持ち上げていると。野球選手でこのバットみたいなものをこの状態で2時間持っていろといってできる人はいない、ということでした。演奏には筋力が必要である、そして、効率的な腕の使い方ができていないと身体を壊すよ、将来年をとったときに吹けなくなるよ、とおっしゃいまして。そのあたりが一番大きいところでしょうか。

──マッサージのときは右を特にほぐす、という感じだったんですか?

 そうですね、右が凝ってるということはよく言われていました。トレーニングでも、まず右手が固くなっていたので肩甲骨まわりをほぐすところとから始まって、必要な筋肉をつけるというようなことを石橋先生に教わりました。

──オーケストラでは、組織としてそういった身体のトラブルへの対応はありますか?

 残念ながら、ほとんどないです。私のオーケストラには練習場がありまして、その向かい側に読売巨人軍の寮があるんですね。そちらでは非常にケアをしっかりしています。スポーツ選手が、ウォーミングアップをせずに動き始めるということはまずないんですけれども、オーケストラプレイヤーはウォーミングアップをあまりせずに始めるということは非常に多く、またクールダウンということもほとんどしないという状況があります。スポーツほど過酷なことをしているわけではないと思いますが、それでトラブルとしては多くなってしまっているというのが現状だと思います。

──ウォームアップやクールダウンはどんなことをされているんですか?

 それもトレーナーの方にメニューを組んでいただいて、指を伸ばしたりとか、肩まわりをほぐしたり、呼吸のための筋肉を整えたりっていうことをしています。トレーニング指導を受ける以前は、やっていなかったことです。

──やってみてどうですか。

 全然違いますね。演奏会終わったあとの疲労度も違いますし、練習中に手が痛くなるということも減りました。若い頃はそれでも一晩寝てしまえばなんとかなる、っていうところがあったんですけど、だんだん年をとって、そうもいかなくなってまいりまして、ちょうどいい時期に石橋先生に出会ったなと思っています。


演奏を医科学的に研究する

──いまはどのくらいのペースで通っていますか?

 今現在は、トレーニングを教わるというよりも、一緒に研究を続けています。最初の頃に、心電図計測というのをやりました。演奏会の前と後で心電図をとり、身体にどのくらい負担をかけているかを研究したんです。それから、筋電図計測という、筋肉をどう使っているのかという計測をして、昨年から始めたのは、三次元動作解析による奏法研究です。これはまだ研究中なんですが、他大学の医学部と洗足学園とで共同で研究しています。そこの整形外科の先生二人と、石橋先生と、洗足の工学系の先生でいま結論を出そうとがんばっている最中です。

──演奏家側からみて、その研究の目標はどんなところにあるのでしょうか?

 まず、演奏時に身体をどう使っているかというのは、いままでは筋肉の動きで見ていたんですが、3次元の動作の解析で、例えばひじがどの位置にあるかとか、姿勢がどういう状態であるかとかいうことを測っています。その研究の目標は、まずは「失敗しない奏法」の研究ということなんですけれども、ゆくゆくは、ジストニアや腱鞘炎など、演奏家に多い怪我と奏法の関係も研究したいなと思っています。


これからの音楽界、芸術界のために

──大学で指導される際、ご自身が習ってきたこととは違う教え方をすることはありますか?

 僕が習ってきたときは、とにかく練習してうまくなれ、できるまでさらえ、っていう教育を受けてきました。けれども、いま若い人を指導するときは、効率的に練習する方法を教えて、うまく休みをとるようにしています。そうしたところ、上達が非常に早くなりましたね。

──それは画期的なことですね。でも学生たちは休みたくない、練習したいと言いませんか?

 うまく吹きたいだろう? ということをまず伝えます。うまく吹くために必要なのはこういうことだよ、というふうに伝えるので、練習したいとは言わないですね。うまくなりたい、とは言いますけど。休んだらうまくなるというわけではないんですが(笑)、うまく休むことが必要であるということですね。

──演奏家のみなさんは、どうやって治療院などを探したり、情報を収集したりするんですか?

 口コミが中心ですね。ですからこちらの芸術家のくすり箱みたいな、きちんと組織になってるところがあるというのはすごく心強く、もっとみんながうまく活用できるようになると嬉しいなと思っています。

──芸術界、音楽界がこう変わっていくといいなと思われることはありますか?

 僕自身、身体にトラブルが起きてからいろいろ始めたので、できれば指導者が色んな情報を得て、そういうことにならないように指導していけるような体制がとれたらいいなと思っています。

 あとは、できれば今後国際組織の芸術医学会のようなものが日本でも広がって行ったら素晴らしいですね。音楽だけでなく、パフォーミングアーツ全体の取り組みになっていくといいなと思います。


辻 功(つじ・いさお)
読売日本交響楽団首席オーボエ奏者/洗足学園音楽大学教授。 東京芸術大学卒業。ドイツ国立デトモルト音楽院卒業。'92年読売日本交響楽団入団。現在首席オーボエ奏者としてオーケストラ活動のほか、ソロやアンサンブルでのリサイタル活動も行う。'85年国際オーボエコンクール2位(1位なし)。大学の指導では、技術・知識・表現力のバランスのとれたプレーヤーの育成をめざしている。


読売日本交響楽団

制作:NPO法人芸術家のくすり箱 [2015.7作成]