芸術家のくすり箱は、ダンサー・音楽家・俳優・スタッフの「ヘルスケア」をサポートし、芸術家と医師・治療師・トレーナーをつなぐNPOです。
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本番にピークを迎えられるコンディショニング

本番へ向けて最高の体調づくりを

芸術家にとって大切な日。それは舞台の本番です。プロにとっては毎日の舞台で良いパフォーマンスをすることが使命です。またプロをめざす人にとっては、年に何度かの発表会や、舞台、あるいはオーディションといった日こそが、勝負の日です。その大切な日に向けて一生懸命練習することも大切ですが、前日まで何時間も練習して、疲れきった状態で本番に臨むことが、良いパフォーマンスに結びつくでしょうか ? 冷静に考えれば、へとへとの状態でのパフォーマンスが良いはずがないことはわかっていても、前日まで激しく練習してしまう芸術家は少なくないはずです。本番へむけた体調づくりを賢く行うことも、自分の力量を確実に発揮するうえで大切なスキルといえるでしょう。

テーパリング〜ピークに合わせて賢く練習

勝負の世界で戦うスポーツ選手たちは、勝負の日に最も身体を良い状態にもっていくために、さまざまな工夫をしています。そのうちのひとつがテーパリングと呼ばれる練習方法です。これは最高のパフォーマンスをしたいと思う日からさかのぼって1週間ほど前から、徐々に練習の量を減らし、練習による疲労を取り除きつつも、技術的な練習だけは継続して、本番には疲労の少ないすっきりした身体で実力を発揮するために行われるものです。図1は水泳選手のテーパリングの例です。徐々に練習の強度と時間を減らすことによって、練習をしながら、疲労の蓄積を最小限に食い止めるよう工夫されています。これは、ダンスや楽器演奏などすべての芸術活動の練習にあてはめて活用することができます。本番の直前までへろへろになるまで練習するのではなく、賢く効率のよい練習方法で、本番のパフォーマンスを最高の状態で迎える工夫をしてみましょう。

本番前の過ごし方が重要

健康の三本柱といえば、運動、栄養、休養です。まずは運動ですが、本番前の体調づくりのうえで、運動の量を加減し、質を保つことは、より良い芸術活動を実現するためにとても大切です。そして本番の前日あるいは直前の栄養および休養にも気をつけたいものです。特に、踊りのように身体を激しく動かす場合や、本番の演技・演奏時間が長い場合は、前日は持久力のエネルギー源となる炭水化物をしっかりとりましょう。また脂肪分の多い、消化に時間がかかる食べ物は、翌日のパフォーマンスに影響しますので、消化のよい食べ物をとりましょう。空腹あるいは満腹で演技に臨むことのないよう、本番の時間を考慮して、その日の食事のタイミングを考えましょう(vol.12「本番前・後の効果的な食事のとり方」参照)。また前日は質の良い睡眠をとり、快適な目覚めと共に、本番当日を迎えたいものです。

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図1 水泳選手のテーパリングの結果
(Mujikaら、1996)

A...練習量の変化
B...数学的モデルを用いて求めたトレーニングによるプラスおよびマイナスの影響
C...競技成績

テーパリングを行って、練習量が減少するにしたがって(A)トレーニングによるマイナスの影響が減少し、プラスの影響が増加(B)。トレーニングのプラスの影響の増加とともに、競技成績も向上している(C)。

出典:水村真由美『運動とからだ』
(山海堂、2000年)

本番翌日から次の舞台への体調管理が始まる 〜アクティブレストのすすめ

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本番が終わったら、打ち上げ ! 疲れたから翌日は寝て過ごす ! といった方は多いのではないでしょうか ? 前日の本番で酷使した身体には、運動による代謝産物がたくさん残っています。翌日一日寝て過ごすと、その代謝産物が身体に長く残り、疲労からなかなか回復できません。そこで「アクティブレスト」です。「アクティブレスト」とは、軽い運動を行って休養することを言います。このほうが、身体の血液循環が活性化され、代謝産物の除去に効果的です。図2をご覧下さい。これは全く動かない休養の場合と、軽い運動による休養(アクティブレスト)の場合での、血液中の乳酸の変化を示したものです。アクティブレストの方が、動かない休養よりも乳酸が早く減っています。乳酸が多く身体に残っていると筋肉の活動はうまくいきません。疲労後は、逆に軽く運動をすることが、身体を元気にする良い方法なのです。ただし、本番翌日にひどい筋肉痛がある場合には注意しなくてはなりません。筋肉痛は、筋繊維が傷ついて炎症を起している状態ですので、ここで運動をして血液循環をよくしてしまうと、炎症を悪化させてしまうことがあります。手すりにつかまらないと階段を降りることができない、腕が痛くてバッグも持てない程の筋肉痛の場合には、少なくとも痛みのある箇所は動かさないようにしましょう。疲労も筋肉痛も賢く対処して、年間を通じて良いコンディションを保ちましょう。

図2 積極的休養の効果(Fox, 1979)

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上手な気分転換と適切な休養を

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ある研究論文によると、舞台のシーズン終了直後と、1ヶ月の休みの後に、ダンサーの持久力や筋力を調査したところ、1ヶ月の休みの後の方が、全般的に体力が高まっていたことがわかりました。連日の舞台が続くシーズンが終わる頃には、ダンサーたちはオーバーワークになっていて、かなり疲労がたまっていたと考えられます。1ヶ月間休むことで、疲労困憊の状態から回復し、その間特別なトレーニングをしていなくても、かえって体力はシーズン後半よりも高まっていたという結果が出たのです。この論文は、ダンサーが一年中踊り続けるよりも、ある一定期間芸術活動を休み、適切な休養をとることの意義を示唆するものです。海外のダンサーたちの話を聞くと、オフにダイビングに行ったり、旅行をしたり、1ヶ月間全く踊りを踊らない休暇をとる例は珍しくありません。もちろんダンサーたちは身体を動かすことが好きですから、1ヶ月間寝て暮らす休暇を過ごす人はそういないでしょう。踊りは踊らなくても、他のスポーツや趣味に興じたりすることは、身体だけでなく、心もリフレッシュします。芸術家は、元来こつこつと毎日練習することを良しとする人が多いかもしれませんが、レベルが高まるに従って、芸術活動による心身へのストレスは大きくなるものです。年に何度か思い切って1週間以上の休みをとって、心と身体のリフレッシュをすることが、心と身体の体力を高めることに効果的であることは言うまでもありません。

制作:NPO法人芸術家のくすり箱 文:水村真由美(お茶の水女子大学大学院准教授) [2010.9作成]