百戦錬磨の演奏家が身に付けたこと
まだ日本のクラシック音楽が世界との差を感じていた1970年、権威あるミュンヘン国際音楽コンクールで圧倒的な優勝を果たした東京クヮルテット。その創設メンバーとして、世界中で活躍してきたチェリスト・原田禎夫さん。「健康管理なんて特別なことは何もしていない」と言われますが、いやはや、経験に培われたものごとのとらえ方や取り組みは、プロの音楽家としての”私流ヘルスケア”そのもの。ユーモア溢れるタフガイぶりは、実はひとつひとつの仕事から徐々に培われたものだと納得の、一流の演奏家をめざす若い人たちへの力強いメッセージです。
—-演奏家として、世界各地でご活躍中ですが、身体のために気をつけていることや、取り組んでいることはありますか?
ぼくはそういうの、全然ないんだよね。食べたいものを食べるし、タバコも吸うし……。ただ、若い頃、年間100回、150回の演奏会と移動をこなしていくうちに、自然と鍛えられたところはあるかも知れない。
—-もともと体力があったのでしょうか。
実はぼくはあまり体力がなくて弱かったから、最初は「これでやっていけるのか」と不安になるくらい、辛かったよね。あの時代はまだキャスターのついたスーツケースも無かったし、チェロのケースも今よりかなり重いし、駅にエスカレーターやエレベーターも無かったから、移動で身体もガチガチになっちゃっているのに、着いたらすぐ弾く、その繰り返し。夕食は演奏会が終わって10時、11時にとる。ぼくは逆流性食道炎という持病があるから、本当は食べた後2時間くらい起きてなきゃいけないんだけど、そんな時間はもちろんなく……。それはぼくだけでなくて、みんなそれぞれ、何かしら弱いところをもちながらも、鍛えられていくんじゃないかな。
—-なるほど。それはすさまじいトレーニングでしたね。いまもその体力が活動の源になっているのでしょうか。
年をとってきて、さすがに昔みたいにはいかないという自覚はものすごくありすよ。今では、演奏会後もそんなに食べないように……ああ、結構食べるな(笑)、でも自分なりには心がけています。あとは、若いうちは考えたこともなかったけれど、最近は、自然と筋肉の衰えに向き合うようになって、組み立て式の簡単な器具で筋肉を落とさないようにするエクササイズはしています。
—-どのようなエクササイズですか?
これ(写真)をガチッと組み立てて、両端を持ってぐっと曲げると、この辺(上腕、胸)の筋肉がついてくる。それを何回か、時間があるときにやります。重いから、ドイツの自宅から演奏旅行に毎回持って行くのはちょっと大変だけど、東京に滞在するときは、都内に住む妹のところに預けてあるので、ホテルに送ってもらって、必ずやるようにしています。
—-(やってみて)き、きついです(笑)。腕がブルブルします。チェロの場合、特に腕の力が必要なのですか。
腕の力だけでなく、胸の筋肉、身体全体ですね。それぞれの楽器によって必要なことは違うと思うけれど、筋力が衰えてくると、音も演奏もどんどん弱ってくるから、もうちょっと長く弾こうと思えば、何かしないとね。
—-演奏自体で故障をする人はいませんでしたか?
中には、シリアスなケガをして弾けなくなる人もいました。ぼくがカルテットをやっていたときのヴァイオリニスト、ピーター・ウンジャンは「ジストニア」で指が思うように動かなくなってしまった。脳から筋肉から神経から、全部検査しても、どこも悪くはなし、原因もわからない。無念でしたよ。今は指揮者として活躍していますけどね。ケアのための鍼がもとで、演奏ができなくなってしまったのがパメラ・フランク。彼女が徐々に長時間弾けるようになってきて、みんなと一緒に何年ぶりかでバッハの長い曲を通して演奏できたときは、涙が出ましたよ。音楽的感性はもちろん、怪我をしても愚痴一つ言わず、人としてもすばらしい演奏家です。
彼らに比べると、ぼくなんか、恵まれているんですよね。どこかが痛いとかいうことがあんまり無かったから。
—-世界各地を回られていますが、時差ぼけの解消法はあるんですか?
若いときは、ぼくもそうだったんだけど、解消法ってないんですよ。焦って寝られない、でもコンサートがある、どうしよう、どうしよう…と。それがストレスになって余計に寝られないんです。いまは、横になっても寝られなかったら「しょうがない、人間、なんとかなっちゃうんだ」と開き直る(笑)。
最近ぼくが使うのは、導眠剤*。若いときは薬なんて大きらいだったから飲まなかったんだけど、あまり副作用がないものを医者から少しもらっておきます。時差ぼけで眠くなったら、まず寝る。2時間くらいでパッと目がさめちゃった時に飲むと、その後よく寝られるんです。それを3、4日続ける。睡眠薬じゃないから、起きてから気分も悪くないし、副作用もない。寝られるから、体力があるんですよ。
—-ストレスはもともとたまりにくい方ですか?
いや、ストレスはたまりますよ。特に若いときは、神経質だったし、すごくストレスをためていました。特にクヮルテット時代は、ぼくがリーダー的存在だったから「引っぱって行かなきゃ」と、たえずプレッシャーを勝手に背負いこんでね。だけどそういうことから離れてくると、色んな経験が役に立ってくるのがわかるんです。あ、こういうことは前にもあったなとか、あれに比べたらマシだなとか、イライラしても仕方ないなとか。それだけの経験をさせてもらったということも、みんなができるものじゃないから、すごくありがたかったな、と思います。
—-全く楽器をさわらないようにする休み方はされますか?
いまは演奏が生活の一部になっちゃってるから、ちょっとできないけど、クヮルテットをやっていたときは、夏は2週間くらい全然弾かないときもありました。そうすると、その後はフレッシュになって、あぁ、チェロ弾きたいな、と思い出すんですよ。むしろずーっと続けているよりはいいんだよね、その気持ちが音楽にはとても大事だから。
*[芸術家のくすり箱注]導眠剤や睡眠薬は、使い慣れない場合、薬が残って眠気が出るなど、パフォーマンスが落ちる場合もありますので、注意が必要です。
原田禎夫(はらださだお) チェリスト。父に手ほどきを受けた後、桐朋学園にて斉藤秀雄に師事。第33回日本音楽コンクール優勝。東京交響楽団、ナッシュビル交響楽団の首席奏者を務めた後、1969年東京カルテットを創設し、ジュリアード音楽院にてクラウス・アダム、ロバート・マン、ラファエル・ヒリヤーに師事。1970年ミュンヘン国際音楽コンクールで優勝後、30年にわたり世界中で活躍。東京カルテットを離れた後は、ソリスト、室内楽奏者、及び水戸室内管弦楽団、サイトウキネンオーケストラのメンバーとして、また指導者として小澤室内楽アカデミー奥志賀、スイス国際室内楽アカデミー等において後進の指導に当たっている。トロッシンゲン国立音楽大学の教授を務めた後、現在上野学園大学音楽学部教授。東京・春・音楽祭において2012年から3年間にわたって原田禎夫シリーズを企画・出演。
(写真提供:東京・春・音楽祭/撮影:齋藤清貴)
制作:NPO法人芸術家のくすり箱 [2013.11作成]